臓器移植を巡る発言について
2009/07/04(Sat)
毎日新聞 2009年7月3日朝刊 統12版 11面「論点」のコーナーに、「15歳未満の臓器移植を考える」という記事が載っていた。3人の論者の意見が並んでいる。その中で渡辺淳一氏の意見に反感を覚えたので、自分の意見と併せて掲載する。

医師として数人の脳死患者を直接見て、脳死は人の死と確信した。
(中略)
日本人は肉体に執着しすぎる。これは感性の問題かもしれないが一方で、医学の進歩はすさまじい。特に専門的な最先端分野ほど進むが、脳死も極めて専門的な問題だ。一般国民が議論するテーマではなく、国民的な合意を得るのはきわめて難しい。医学の進歩に日本人の倫理観がついてこられなかった結果だが、感性も医学の進歩に合わせる必要があるのではないか。


論旨を整理してみる。
・脳死は人の死である。
 医師の立場として、そう確信している。
・脳死は極めて専門的な問題であり、一般国民が議論できるようなテーマではない。
 つまり、「脳死が人の死か否か」は、医学の専門家が判断すべき。
・日本人は肉体に執着しすぎる。
・日本人が肉体に執着するのは、感性の問題である。
・感性も医学の進歩に合わせる必要がある。
 つまり、医師ら専門家が一般国民を啓蒙し、感性を変えていく必要がある。

渡辺氏は、「日本人は肉体に執着しすぎる。それは感性の問題である」と言っているが、その感性がどこから来るのかについての深堀りが不足している。

私の意見:
・「死の定義」については、宗教・思想の問題である。
・「検死(死の判断)」については、医学の問題である。
・「脳死」の問題は、“定義”の問題と“判断”の問題を含む。
 従って、医学的見地から一義的に「脳死を人の死」と決めることはできない。

・日本が他の先進国と異なる点のひとつに“宗教”がある。
 (他の先進国は全て一神教)
 「死の定義」が宗教観に依るものである以上、国民性が反映されるのは当然。
 よって、「脳死を人の死」とする考え方が日本人になじまないのは、ある意味当然。
 いくら啓蒙したところで宗教観まで変えることはできないので、今後も「脳死を人の死」とする考え方は受け入れられないだろう。
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